お知らせ

2013年9月11日

【黒田官兵衛・イベント報告】講演「黒田官兵衛生誕地・黒田の里」(9/8)が開催されました。

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↑鈴木先生の後援に熱心に耳を傾けている来場者

こんにちは(*^_^*)。しばらくぶりの暑さですね〜。事務局のある市役所にも、そろそろ夏の終わりを告げる?
セミたちの鳴き声が響きわたっています。...がもうしばらくは、この暑さは続きそうですね。

さて、今回は9月8日(日)に黒っこプラザで開催された思想史家・鈴木幸治先生による講演、「黒田官兵衛
生誕地・黒田の里」の報告です。

「北播磨黒田官兵衛生誕地の会」が企画した官兵衛セミナーの第2弾で、6月に開催された歴史研究家・黒
田美江子氏の講演に続くものです。

講師の鈴木幸治先生は、黒田家前史研究サイト「播磨黒田氏 黒田官兵衛」を公開し、通説では近江の国
が出自とされている黒田家は、実は多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄町黒田)であると主張されている
方です。今回の講演では、最近注目されているこの説の根拠を解説いただきました。

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↑講演に先立ち森脇会長のあいさつ   ↑講演をいただいた思想史家・鈴木幸治氏

 

講演では、姫路に伝わる古文書では「官兵衛は多可郡黒田村の産」と書かれていたが、先ごろ公表された「荘厳寺
本系図」がこのことを証明するものとなった。官兵衛の出生地といわれる姫路の文書が、地元姫路ではなく、黒田村
出身と書いてあるので、少なくとも姫路生まれではないことは確かであると述べられました。

その他の内容としては、
 ・現在の近江国出生は「通説」であり、これまで官兵衛生誕の本格的な研究はされていなかったので、これは
  歴史的に証明された「定説」ではない。
 ・黒田家は播磨国守護・赤松氏の子孫で、円心の弟・円光の子、重光を祖としており、播磨から京に至る街道
  が通る丹波国境の拠点に位置する「黒田城」を居城とした。
 ・現在伝わる赤松氏の系図に黒田氏が出てこないのは、系図の作者が黒田氏のことを知らなかったからで、
  
不整合とはいえない。むしろ「荘厳寺本系図」は、赤松氏の新しい系図といえる。
 ・近江や備前にある黒田家の墓は、後年度に造られた可能性が高い。
 ・通説では実父とされる職隆(もとたか)と祖父の重隆(しげたか)の年齢差は16歳しかなく、戦国時代といえ
  ども親子というのは疑問。養父と実父と考えるべきだ。

などと語られました。そして最後に「ドラマと史実は異なる」ということを強調され、1時間半にわたる講演を締めくくり
ました。

歴史には謎が多く、それがロマンでもあります。これまでの通説を否定するのではなく、西脇市に語り継がれてきた
伝承を大切にしながら、アピールを行ければと考えています。

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↑会場では官兵衛に関するオリジナルグッズも販売(西脇TMO)

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