播磨国風土記に登場する地

「播磨国風土記」は、播磨国の文化・風土や地勢などを記録・編纂して、天皇に献上させた報告書です。奈良時代の初め、713年に編纂が命じられ、平安時代末期に書き写された写本が国宝に指定されています。

「託賀(多可)郡」(現在の西脇市と多可町)の章より一部を紹介します。

名称 説明
黒田里
(くろだ)
現在の西脇市黒田庄町。
荘厳寺のある黒田地区に名が残ります。「土黒きを以て名と為す」と記される通り、一帯の土は黒っぽい色をしています。また、奥津嶋比売命が伊和大神の子を産んだという「袁布山(おふやま)」は黒田に面した前山のことで、「支閉丘(きえおか)」は丹波市との境にあるイタリ山のことだと言われています。
都麻里
(つま)
現在の西脇〜比延地区。
昔、女性首長の播磨刀売(はりまとめ)と丹波刀売(たにはとめ)が国の境を定めた時、播磨刀売が都麻の里で井戸水を飲み、「此の水有味(うま)し」と言ったことが地名に。大津神社の南に「津万(つま)」の地名があります。
また、品太天皇(応神天皇)が巡行時に落とした鈴を、土を掘って見つけたという「鈴堀山(すずほりやま)」は、現在のテレビ塔山(西脇市堀町)だといわれています。その山麓には、天皇の猟犬の墓跡に立つという犬次神社(いぬつぐじんじゃ)があります。
法太里
(はふだ)
現在の芳田(ほうた)地区〜多可町八千代区。
昔、讃岐日子が建石命と戦って負けた時、命からがら這って去った。それが這田(はふだ)という地名になりました。また、建石命は坂上に大甕(おおみか=冠)を置き、「これより内には入るな」と讃岐日子に言い放ったそうです。その「甕坂(みかさか)」は現在の二ヶ坂(にかさか)です。

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